2月28日

「コストを低く、そして1分でも早く配達してほしい」

KWE/NYC(ニューヨーク)の事務所で、電話のベルがけたたましく鳴る。
「3月2日のフライトで日本を出し、ニューヨーク州ジェームスタウンに3月3日中に配達をして欲しいが、可能か?」
電話の向こうから聞こえるせっぱ詰まった声から、重要な貨物だということが伺われた。
NYCからジェームスタウンに貨物を運ぶには、トラックで輸送する方法が一般的だ。だがこの方法では11時間以上かかってしまう。KWE/NYCのスタッフは、コスト面・時間面から通常の方法では無理があると判断した。
「SFO(サンフランシスコ)まで送り、事前通関をし、通関後オーバーナイトの国内線でバッファローまで運び、バッファロー空港よりトラックを使えば、3日中に配達が可能です。」
お客様のご要望に合わせて、別ルートを提案した。
「コストを低く、そして1分でも早く配達してほしい。」
それがお客様の答えだった。
即座に、KWE/SFO、日本の各営業所との綿密な打合せが行われ、すべての準備が整えられた。あとは、フライトの無事な到着を祈るばかりであった。

3月2日夜

「了解!」しかし、焦りは隠せない

電話のベルが鳴る。嫌な予感がした。
「大変です。飛行機の搭載容量の関係で該当貨物がオフロード※されました!」
東京からの国際電話……。予定していたフライトに貨物が搭載されなかったのだ。
「3日の到着は間違いないのか!」
真っ青になりながら、悲鳴にも似た声で電話に向かって叫んだ。その電話を保留にしつつKWE/SFOへ連絡。
「貨物がオフロードされた!とにかく通関だけ処理をして、明朝(3月3日)7時に空港に行って下さい。」
「了解!」
しかし、焦りは隠せない。

※ オフロード:貨物が搭載されないこと

3月3日午前10時

NYCではすでに午後2時。SFOよりバッファローへはもう直行便はない

SFOからの電話。
「フライトが2時間遅れです。」
「貨物は?」
「間違いなく載っています。」
「通関は切れたか?」
「OKです。コンテナのブレイクダウンの後、引き取れるのはSFO時間の午前11時頃の予定です。」
これからが時間との闘いだ。11時ということは、NYCではすでに午後2時。SFOよりバッファローへはもう直行便はない。CHI(シカゴ)、ピッツバーグ、NYC経由のいずれかでも約8時間はかかる。しかも午後のフライトは数えるくらいしかないはずだ。刻一刻と、時間は無慈悲に過ぎていく。
クライアントに事情を説明し、4日の午後の配達ではだめかと問い合わせてみる。
「工場のラインが4日午前4時にストップしてしまう。何としても4日朝4時までに配達してほしい。当社は24時間ラインを動かしている。ラインが1時間でも止まれば大損害だ!何とかしてください」と悲痛な声。

3月3日午前11時

「小型機をチャーターしたら間に合うな」独り言のようにつぶやいた

何とかしなければ、何とか……。こんな時こそ、柔軟で正確な判断を下さなければいけない。だが、焦れば焦るほど答えが見えてこない。
「小型機をチャーターしたら間に合うな。」
NYCのスタッフの1人が独り言のようにつぶやいた。
「それだ!」
突破口が見えた。ぐずぐずしてはいられない。次々とスタッフに指示が伝えられる。
「ステーシー、KWE/CHIへ電話を入れてチャーター会社を探してもらえ」
「コニー、イエローページでチャーター会社を探せ。ヘリコプターもだ!」

3月3日午後1時

残りの時間はあと40分。早く決断を!

「たった今、貨物を引き取りました。どの空港に飛ばすか指示を下さい。時間がないので、手荷物としてスタッフを飛ばします。」
とSFOからの連絡。ステイシー、コニーよりCHI、NYCともにチャーター機はOK、契約書をFAXするとの報告が入った。
「トム、CHIとバッファローの天気予報を調べてくれ」
「所長、両方とも雪になると言っている!」
「なに!」
天にまで見放されてしまったのか……。
SFOより再度電話。
「正午前後にCHI向けとNYC向けのフライトがある。残りの時間はあと40分。早く決断を!」
「よし、NYCに飛べ!ステイシー、CHIのチャーター会社にキャンセルを入れろ。コニーはNYCのチャーター会社と契約だ」
決断してからの動きは早い。次々と指示を出す様は、小気味よくさえ感じられた。

スタッフと貨物を載せた飛行機はNYCに午後9時20分に到着予定だ。チャーター機は午後11時にNYCを出発させるよう手配した。次の手配はレンタカーだ。バッファローから車で2時間ほどかかる目的地ジェームスタウンまで、トラックかバンを空港でレンタルしなければならない。しかし、空港のレンタカー会社は午後11時に閉店してしまう。しかたなく、前もって定期便でスタッフに飛んでもらい、レンタカーを借りて、チャーター機の到着まで待機してもらうことにした。
しかし数時間後。待機スタッフが丁度バッファローに到着する頃の時刻だ。バッファローから電話が入った。
「バンもトラックもなく、予約できません」
次から次へと災難に見舞われる。
「とにかく一番大きな車なら何でもいい。予約を入れろ!」
「キャデラックがあります。」
「…………」

3月3日午後10時

貨物を引き取り、チャーター機専用ターミナルへ

予定通りSFOよりNYCに到着。貨物を引き取り、チャーター機専用ターミナルへ営業所のバンで向かった。

3月3日午前11時

木の葉のように揺れる飛行機、雪で前は見えない

空港の風は凍りつくように冷たい。気温はマイナス10度だった。チャーター機に1個300ポンドの貨物を積み込み、いざ出発。
貨物とともに乗り込んだのは、6人乗りのプロペラ機だ。木の葉のように揺れる飛行機。雪で前は見えない。ジェット機では1時間くらいのところだが、プロペラ機では約2時間半かかる。本当に無事に着くのだろうか。時が過ぎるのがとても遅く感じる。
ついにバッファローに到着した。体の震えが止まらない。だがその震えは決して寒さからくるものではない。恐怖心から来る震えと、武者震いが交錯しているのだ。

3月4日午前1時30分

キャデラックに貨物を積み一路、ジェームスタウンへ

用意されていた車、そう、キャデラックに貨物を積み、一路ジェームスタウンへ。残されている時間はたった2時間半。雪と寒さでアイスバーンになっているハイウェイを、時速80キロで飛ばした。

3月4日午前3時36分

デリバリー完了!

ついに工場へ到着した。KWEの社員が真夜中にキャデラックに乗って日本からの貨物を届けに来たということで、工場の人が集まってくる。
「KWEは我々の危機を救ってくれた。」
副社長もわざわざ出迎えてくれ、大きな手で握手をした。凍りついた身体が、その大きな手の温かみで解けていくようだ。一緒に貨物を運んだスタッフも皆、各々で握手をしていた。
やればできるという自信と満足感が、スタッフ全員に宿った瞬間だった。

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